2008年07月13日

父の命日

今日、7月13日は、父の命日です。
早いもので、亡くなってもう8年になります。

今日はちょっと父の思い出を書こうと思います。

父は、還暦を過ぎて、あき乃家を手伝ってくれていました。
まだあき乃家が、今の愛宕本店の3分の1程度のスペースしか借りていなかった頃です。
もちろん、支店もありませんし、従業員もいません。
そこで働いているのは、私と父と母の3人のみ。
こじんまりと明太子を作って、包装し、出荷していました。

父には小さなテーブルを自分専用に使っていて、
私はそのテーブルのことを「父ちゃんの職場」と呼んでいました。
父は私と違って(?)潔癖症で、専用のテーブルの上で、
それはそれは丁寧に包装してくれていました。無口で、淡々と。
たまに明太子を見ながら、「これは上等じゃ」と言いながら。
そのテーブルには、父のポリシーがあったなと思います。

その後、父は病気をして、入退院を繰り返すのですが、
あき乃家のことはいつも気にかけてくれていました。
父が亡くなったのは、あき乃家の初めての支店、
唐人町店を開店して数ヶ月後のことでした。
外出もままならなかった父が、唐人町店開店のささやかな御祝い会に
出席してくれたことがせめてもの救いでした。

経営上の悩みを父に相談することもありました。
口下手な分、ぼそっと返される言葉が身に沁みるのです。
今でも悩んで、答えが出ないとき、
「父ちゃんだったら何て言ってくれるかなぁ」「会って話したいなぁ」と、よく思います。
そう思っているうちは、経営者としても、人間としても、まだまだなのかもしれません。

今では、愛宕本店のスペースも創業当時の3倍ほどになり、支店も3店舗。
父が見たら「おまえ、だいじょうぶか?」と言われそうです(笑)。
課題は山積みですが、ここまで来れたのも、親子3人で一所懸命明太子を作ってた、
あの時代があったからだなぁと、父にも、そして母にも感謝しています。

今日はそんな父の命日です。
実は今日、もろもろの事情があって、納骨堂にお参りに行けないのです…。
せめてものお詫びに、この日記から父に感謝の念を送りたいと思います。

父ちゃん、そっちはどうですか?焼酎飲んでますか?
今日は行けなくてごめん。仕事、なんとかじたばたしながらがんばってます。
これからも、あき乃家、がんばっていきますので、見守っていてください。
いつも支えてくれて、心から感謝しています。本当にありがとう。

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